ヒルデガルダの午後のひと時                       あははの辻

 

 

 

 

『おまじないあります』

 

 丸みを帯びた字体で浮き彫りに仕上げられた看板は、よく言えば素朴、悪く言えばいささか野暮ったいが、鉢植えの花で周囲を飾られ、とても可愛らしい印象である。

 こんな、世が世なら…あるいはもう少し西方の国であるならばもしかしたら今の世であっても、投獄だとか拷問だとか私財没収などといった憂き目にあってもおかしくない、戯けた看板を店先に出している店の主は、これまた人を食った顔をした東方人である。

 のっぺりした顔立ちに癖の無い黒髪は漢国人の血を引いているようだが、彼の国の男性に見られる特徴的な髪型はしていない。本人曰く、「弁髪令が施行される前に一族で国を離れた」そうな。

 販売している「おまじない」は様々あれど、一番の売れ筋は「恋まじない」らしく、今日もちょっと裕福な家の娘が買いにくる。時は五月も終わりに近く、大地には長い冬を乗り越えた花々が咲き乱れ、蝶は舞い鳥は歌い獣は野山を駆け巡る…つまりは恋の季節だ。

 ふわふわとした表情と足取りでカウンターに近付く娘を横目に、ヒルダは行儀悪く頬杖を付いた。

 

 実は単なる茶屋だとヒルダは見ている。

 

 と言うか、店の入り口には漢字で鮮やかに『茶』と書かれた額が掲げてあり、茶屋である事は疑いの余地はない。そして、木造で三角屋根の建物はこの国では珍しくもないが、この店は間口を大きく取り、庇を備えつけあまつさえそれを瓦で葺いている。窓枠の意匠も漢国的で、実に異国情緒溢れる佇まいを演出しているのだから、店先の『おまじない』看板だけがはっきり言って浮いている。

 そもそも「茶」自体、ここ数年出回り始めた新参者で、かなり高級品である。帝国を経由して、遥か東方の漢国より齎される輸入品なのだから、高くもなる。

 新女王の即位より数年、ようやく政情が落ち着き国民の生活が安定してきたために、このような嗜好品も流通に乗るようになったのだ。それでも普段使いに飲めるような代物ではない。

 皆、特別な時に特別な相手を持て成すために、ちょっぴりだけ購入する。そうした物だ。

 だが、ここの「おまじない茶」は、他よりも更に五割以上高い。

 

 供された茶を一口含む。

 この店は中で茶を喫むこともできるのだ。高いけれど。

 馥郁たる香が鼻腔をぬけ、爽やかな苦味、そして後味は仄かに甘い。

 

「あ~ぁ」

 ヒルダは溜息を吐いた。

 

 一級品。それも「超」の付く。

 

 何でわざわざ「まじない」なんて胡乱な付加価値を付けて売るのだろうと思う。怪しげな商売をされると、見過ごして良いものか判断に苦しむではないか。

 まじないなど掛かっていないただのお茶だとしても、順当な値段…いや、巷に氾濫する混ぜ物だらけの茶どもを考えれば、むしろかなり安いかもしれないのだから。

 茶器を爪で弾くと、ちりんと澄んだ音がする。美しい赤絵で彩られたこの器もまた、漢国からの渡来品であろう。西方諸国では、これほど繊細な焼き物は作ることができない。出来の良さから察するに、官窯の品かもしれないと考えて、彼女はまた一つ溜息を吐いてしまう。

 直輸入を謳っているこの店は、仕入れ輸送販売をも独自に手がけているのだ。店の一角では茶器も販売しており、今ヒルダの掌にあるものに比べれば見劣りするものの、それなりに雰囲気のあるものが、手が届かないわけではないが些かお高い値段で並べられている。

 一体どうやって市場を牛耳る大商人の目を掻い潜り、商いをしているのか…。

 

 本当に色々と胡散臭い。

 

 でも、税金の支払いは良いのだ。

 高額な関税も、嗜好品に掛けられている高い税率にも文句一つ言わず、きっちり納めてくれる。現状では儲けがほとんど無い、むしろ赤字だろうと思うのに、この国はこれからどんどん発展するでしょうから、当然の先行投資です、この国を拠点に販路を拡大したいのです、と愛想が良い。

 クーデター未遂も記憶に新しいこの国に積極的に投資を行う商人など他にはおらず、できれば放したくない金の卵を産む鵞鳥なのだ。

 

 悩みながらもじっくりと手元の茶を楽しむヒルダの視線の先では、件の娘が、今まさに店主から茶の入った紙包みを受け取っているところだった。

 客には店主直々に、丁寧に使用法の説明がなされる。口頭とは別に、茶の淹れ方を記した洒落たカードも渡される。

 そして、ちょっと声を潜めて秘密っぽく囁かれる「おまじない」の真髄…

 

「茶葉を入れる時に、お相手の事を思い描きながら『owiagnin』ト三回唱えマショウ。そして必ず二人きりであることガ重要デス。でないと効果が分散してしまい、上手くいきマセン。また、信じる心がまじないの力を強めマス。信じて微笑めば、効き目はいや増すことデショウ」

 

 流暢でありながら語尾に異国訛りが残る店主の言葉は、不思議な浸透力を持って脳に染み込んでくるようだ。店で売っている「おまじない」は似非モノでも、もしかしてこの男は本物の呪術師ではなかろうかと信じそうになる。

 それでも、うきうきと店を後にする娘を半眼で見送ったヒルダは、ぼそりと呟かずにはいられなかった。

「…二人っきりでお茶なんて、ほぼ王手じゃない」

 すると耳聡い店主は穏やかに微笑んで振り返った。

「ほぼ、でも、切っ掛けという最後の一手を必要とするものです…指し湯はいかがですか?」

「ありがとう、頂くわ。…何よ、じゃあ単なる思い込み以上の効果は無いってこと? それってインチキじゃない」

「とんでもない! 正真正銘の本物ですよ。ワタクシの調合を嘗めないでいただきたい」

「調合?」

 何か危ない薬でも混ぜているのか、と顔色を変えるヒルダの傍らの茶器に湯を注ぎながら、彼は堂々と胸を張った。

「あらゆる茶葉、花、果実に香辛料。真に美味なるものに勝る媚薬はありません!」

 ヒルダはがくりと項垂れた。

「…やっぱりインチキじゃない」

「何を仰います。恋心を掻き立てる味と香に仕上げてありますよ」

「あのヘンテコリンな呪文は?」

「自信を持たせる「呪文」です。オドオドビクビクしていては魅力が半減してしまう…確かに」

 憮然として反駁しかけたヒルダを宥めるように片手を挙げ、続けて曰く

「手妻の類いと思われるかも知れませんが、そもそも呪術とは、目に見えぬ不思議な力によって人心を動かす…さらには身体に働きかけるモノでしょう」

「…言語学は専門じゃないの」

 口を尖らすヒルダに、店主は小さく笑いをこぼした。

「感覚的な理解でけっこうですよ。そしてワタクシは恋に効くお茶を調合できますが、「何故」恋に効くのかと問われますと、このお茶の持つ不思議な力に依って、としか答えられないのです」

 ヒルダは降参と言う様に軽く両手を挙げた。

 本物の呪術であると主張しているようでいて、その実、害のない安全な商いであると説明されていたのだ。

(手の内をあっさり喋ると思ったら…)

 これはバレてるのかもしれないと、脳内で己の姿を顧みる。服も靴も、ちゃんと古着屋で買い求めた一般的な物なのだが。

 幾分眉尻を下げながら茶をすする彼女の前に、お茶請けの砂糖菓子のお代わりがそっと置かれる。そして店主は徐に口を開いた。

「それに、まあ、殊、恋愛事に関して言えば、効果は曖昧な方が良いのです」

「あら、どうして?」

「恋しく思う人物を、己の望む行動をし己の望む言葉を吐くだけの傀儡にしたいと思う人は…居ないとは申しませんが、決して多くはありませんので」

「………なるほど」

 呪術の力を借りても恋を成就したい、けれど相手には本当に自分を好きになって欲しい。

「欲張りな話よね」

「欲張りになっても良いでしょう。欲張らなかったからといって成功率が上がるわけではないですからね、恋愛というものは」

「…………………」

 けっこう身も蓋もない事を言う。反感を覚えないのは、柔らかな語り口に誤魔化されるからかと思いつつ、ふとヒルダは先程から気になっていたことを訊いてみた。

「…ところで貴方、訛りはどうしたの?」

 すると店主は笑みを深めて口を開いた。

 

「これは営業用デス」

 

「………………………………ご馳走様。帰るわ」

「ご来店ありがとうございマシタ。せっかくですのでヒルダ様、何かお持ち帰りになられマスカ?」

「………そうね、優しく寛容な心になれるお茶を50gいただくわ」

 これは皮肉だったのだが、男は何ら痛痒を感じた風も無く、カウンターの奥の壁一面に設えられた抽斗に向き直った。百を超えるだろうその抽斗の中から、迷うことなくいくつかを引き出しては薬匙で中身を計り取っては左手の皿に載せていく。そしてそれを天秤に載せた紙に空けると、

「ふむ、53gデスネ。オマケしておきマショウ」

 と言って手早く包み、可愛らしいリボンを付けてそっと両手で差し出した。

「これは沸かしたての熱いお湯を勢い良く注ぎ、二分ほどお待ちになってからお召し上がりクダサイ」

「ありがとう…」

 つい勢いで購入してしまったが、折角なのだから楽しもうとヒルダは口元を綻ばせた。

「優しく爽やかな香で気を落ち着かせ、寛容な心持にしてくれマス。固い頭を柔らかくする働きもございますので、気難しいお相手との席にもぴったりですよ」

「……………ありがとう」

 これはもう完全にバレている。ダカラオ忍ビナンテヤメテ下サイト申シ上ゲテオリマスデショウ!と喚く宰相の姿を思い描き、ああ、彼にこの茶を飲ませようと決意する。

 そして彼女が店の扉に手を掛けた所で、背後から声が掛かった。

 

「ヒルダ様」

 

「なに?」

「もしも、貴女がお望みになるのなら、『本物』をご用意することも出来ますよ」

 彼女は思わず息を呑んだ。

「何で私に?」

「支払能力をお持ちであるだろう事と、使いどころもご存知であろうからですよ」

 店主は相変わらずの笑顔だったが、ヒルダはぞわりと背中に冷たいものが這うのを感じた。

 

「要らないわよ、そんな気色の悪いモノ!」

 

 憤然と去ってゆく女王陛下の後姿を見送りつつ、店主は楽しげに肩を揺らした。

「ああ、宮廷魔術師に成り損ねてしまったナァ」

 

 

 近現代におけるスラヴェニアの歴史を紐解くに、東洋系マフィアの存在は無視できない。軍事経済に深く根を張った彼らの存在が、徐々に王権を蝕んでいったとの主張があり、また確かにそれは一面の事実である。しかしながら、大国の狭間にあってスラヴェニアが独立を維持し、繁栄を享受するためには、彼らの経済力と軍事力が必要不可欠であったことも厳然たる事実なのである。

                                                             (了)








おまけ『珈琲にまつわるアレコレ』

 

 

「どうぞ、陛下」

「ありがとう、僧正猊下。…珈琲、問題なかったのね?」

「なかなか癖になる香ですな。頭もスッキリする様で、礼拝中に居眠りをする修道僧が減りそうですよ」

「そう、それは重畳。それで?」

「一月ほど毎日試しましたが、機能障害は起きないようです」

「ッグブ、ゲホ、ゲホ!」

「おや、珈琲熱すぎましたか?」

「…ケホ、だ、大丈夫よ。そう、問題無いなら良いの」

「西方での騒動は、夫の経年劣化を嘆いたご婦人方の八つ当たりだったのでしょうかねぇ」

「ガフッ、ゴホッ、ゴホッ!」

「おやおや、さすがに幼なじみの前だからといって気を抜き過ぎじゃないですか? 嚥下に問題が出るお歳でもないでしょう」

「そっちこそ幼なじみ相手だからって、ちょっとは物言いに気を使ってくれても良いじゃない! これでもうら若き乙女なのよ!」

「十分に気を使って婉曲な言い回しにしているじゃないですか。それとも「コーヒーが性的不能の原因となるという説は否定されました」と言った方が良かったですか?」

「………うぅ…」

「そもそも、陛下のたっての願いに応じて人体実験の被験者となり、あまつさえ、その「うら若き乙女」に己が下半身事情をあからさまにせねばならない私の方こそ同情されて然るべきでしょうに」

「…悪かったわよ」

「いいえ、万が一にも本当であれば大問題ですし、引き受けたのは私の意思ですので、謝っていただく必要はありませんよ。それに、そもそも南方の国々では既に広く飲まれている以上、問題などない事はほぼ確実でしたし、修道僧たちにも影響は出てないようですし…」

「え? 飲ませたの? 了解取ったの?」

「まさか。徒らに噂を拡散させるような真似はしませんよ」

「じゃあ何で影響が無いって分かっ…いや、いい! 答えなくていい! でも、影響あったらどうするのよ…」

「修行僧である以上、必要のない機能なのでかまわないじゃないですか」

「………鬼だ、鬼がいる…」

「何か仰いましたか?」

「いいえ! それから「悪魔の飲み物だ」「悪魔の臭いだ迷惑だ」っていう意見はどうしようかしら」

「それなら、神の家の聖なる炎で清め済みのものを販売したいと思います」

「専売は許可できないわよ」

「別に他の方々が販売に乗り出すのを妨害したりはしませんよ」

「ま、良いわ。税収が増えるのは有り難いし」

「神の家から金を取るおつもりですか?」

「それはそれ、これはこれ、よ」

「………」

「王室御用達の金看板、欲しくない?」

「…宜しいでしょう」

 

「ところで陛下、先程から気になっていたのですが、その態とらしい尼僧姿はいかがされましたか?」

「………」

「もしや、お忍びのおつもりだったので?」

「……………」

「全く似合っていませんねぇ」

「…余計なお世話よ!」

 

 

 修道院でビールを醸造しているケースは多々見受けられるが、コーヒーの焙煎を修道院が担ってきたというのは珍しい事例と言える。

 スラヴェニアの修道院では、それぞれに秘伝の焙煎法とブレンドが伝わっており、飲み比べてみるのも面白い。

 特に、ビールと違っていくら飲んでも運転に支障を来さないのだから、彼の地に旅行に訪れる際には、観光ついでに巡ってみられては如何だろう。inserted by FC2 system




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紅茶こぼれ話

 

 西欧への茶の流通は、海洋貿易において18世紀後半にオランダが衰退しイギリスが台頭した事により、イギリスが主に担っていました。消費地も主にイギリスでしたが。

 一方ロシアは陸路で茶を輸入していました。東欧へはロシア経由で喫茶の文化が広まりました。

 茶の種類では緑茶が主流でしたが、18世紀初頭から徐々に紅茶に取って替わられます。様々な混ぜ物による嵩増しがひどかったから、というのも理由の一つではあるようですが…代わった紅茶にもたっぷり異物混入していたというのは、商魂逞しいと言って良いものか。

 ともあれ紅茶が大人気を博したイギリスでは貿易赤字が増大し、困ったイギリスはインドで阿片を生産し、清に密輸します。国内に阿片中毒患者が蔓延し、困った清は強引に輸入を止めようとし、それにイギリスが因縁を吹っかけて阿片戦争が勃発。これが1840~1842年で、結果敗北した清は不平等条約(南京条約)を飲み、以後の列強による植民地化の第一歩となるのです…が。

 しかして1823年にインドで茶の木(アッサムチャ)が発見されており、インド・スリランカで大規模栽培の切っ掛けとなっていました。アヘン戦争が勃発した1840年頃にはイギリスに初めて輸出されてもいます。そして20世紀には欧米で流通する茶のほとんどが、イギリスの手掛ける南アジア産の物になり、清の茶の輸出は衰退します。

 …せめて半世紀、アッサムチャの発見が早かったなら、と、歴史の皮肉を考えずにはいられません。

 

 

珈琲こぼれ話

 

 「悪魔の飲み物」と言われたコーヒーに洗礼を施してキリスト教公認飲料としたのは、1600年頃にローマ教皇であったクレメンス8世。

 「コーヒー不能説」騒動が起きたのは1678年のイギリス。夫がコーヒーハウスに入り浸って家庭を顧みない、と、主婦たちの怒りが爆発した模様。意外な事に17世紀後半のイギリスでは紅茶よりもコーヒーの普及が進んでいたようですが、18世紀の半ばから紅茶に取って代わられたようです。



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