ヒルデガルダの憂鬱。 菅江真弓
「そこで、ヒルデガルダは…」
「ヒルデガルダ"女王陛下"です、先生」
生徒の一人が敬称をつけるように促す。
やれやれ、ま、文字通り"ヒロイン"なんだから仕方がないね、と思いながらブリットは訂正した。
「ヒルデガルダ女王陛下はヴァンゼルト伯爵を処刑しました。これがいわゆる"ヴァンゼルト事件"です。」
チャイムが鳴る。
「と、今日はここまでです。夏休みも残りわずかです。休み明けには全員元気な姿を見せてくださいね。それでは、終わります。」
生徒たちが教室から出ていく、と、先ほど訂正してきた生徒が話しかけてきた。
「先生、ヒルデガルダを助けたとされるジョルジオですけど、その後どうなったんですか?」
「その後についてはいろいろな説があるわ。中でも有力な説は二つあって、一つは最終的に宮廷に取り立てられて宮廷料理人になったというもの、もう一つは…」
「その後も宿を続け、この国一のホテルを築いた、ですね。」
「そう、よく調べてるわね。」
「先週両親に連れて行ってもらって、散々その話を聞かされました。」
「なんだぁ、自慢かぁ。」
それじゃ、と軽く挨拶すると、生徒は去って行った。
この国では今、何度目かのヒルデガルダブームが起きていた。
グッズは売れる。本は売れる。芝居も流行る。もともと人気が高いうえに、周辺4ヶ国合同で作っている一年間通じてやるドラマの題材に選ばれたものだから、猫も杓子も、という状態である。
だけど、とブリットが思ったとき、ちょうど窓の外から、ブームと同時に耳にするようになった宣伝の文句が聞こえてきた。
「今、この国には強いリーダーが必要なのです。ちょうどヒルデガルダ女王陛下のように…」
そう、確かに今、強いリーダーは必要なのかもしれない、ヒルデガルダのように、官僚の腐敗もひどい。
でも、だけど…。
逡巡するブリットの視線が窓の外の街宣カーに向かう。
そこには党首である女性の顔が大きく印刷されていた。
北の国の短い夏が終わろうとしている。
(了)