ヒルデガルダの部活 五三一〇
僕たちの部活には「女王」がいる。全ての上に君臨し、蒙昧なる民を導くべく統治する絶対の女王が。彼女に逆らうことは誰もできない。女王より長くその座にいる大臣のような先生や、女王に反発する議会のような生徒会も、彼女が動けばそれに従うことしかできない。そんな「女王」が僕たちのような無辜の民を踏みつけている。
当然、その呼び名は言葉のあやというか比喩みたいなものなのだし、実際の役職名は部長だ。けれども僕は、彼女が本当の本当に、正真正銘の女王様だと思っている。こんなことを言うと大抵、周りの人たちはナイスジョークって返してくれる。僕にとってはジョークでもなんでもなく、本気でそう思っているのだ。信じてくれないかもしれないけど、これは「女王」と僕の間に起きた話、いや――物語、あるいは御伽噺だ。
その日の昼休み、僕達は部室でトランプをしながら頭を痛めていた。
「今年の文化祭、どうなるなんだよ……四」
「聞かれても困るよ。いつもの調子で教頭が張り切ったんじゃねえの?はい六」
「なんであいつはこんなときばっかり変な張り切り方するんだよ……七で一枚渡す」
「だから聞かれても困るって言ってるじゃないか……おっ、八で流して十を四枚、革命して四枚捨てて上がり」
「なんだそれー、強すぎだろ」
「十をくれたお前が悪い」
「マジかよ……二にジョーカーもあるのに」
僕はカードを投げ出しながら天井を見上げた。ついていない蛍光灯と染みのついた天井の模様が見つめ返してくる。染みの模様はランスを持って馬上槍試合に挑む騎士を思わせる。
「本当にどうなるんだろうな、文化祭」
「だから俺に聞かれてもわかんないって言ってるじゃん。ま、教頭が本気ならこのまま中止なんじゃないの」
そう抜かしながら僕の向かい側で瀬川は飴を舐め始めた。こいつとは同じ学年の同じ部活だけど、仲は良いとも悪いとも言えない。部室で二人きりでトランプをする程度、くらいの関係だ。
壁にかかった時計を見る。そろそろ午後の授業が始まる時間だ。適当に片づけた弁当をそのまま置き去りにして、僕たち二人は教室へ戻った。
授業中のほとんどを居眠りしながら(ついでにしこたま怒鳴られながら)やり過ごして、休み時間、清掃作業、放課後となったが、その間ずっと文化祭のことでもちきりだった。
――今年の文化祭、中止になるんだって?
――学校の成績を上げるのにお熱な教頭がまたやらかしたらしいよ。
――まだ決まったわけじゃないらしいけど、あの教頭が一度出した案をひっこめたことってないもんね。
要するに教頭の意向で今年の文化祭を中止しようって話が会議で上がったというわけだ。当然生徒は反発するし教師の中にも反発してる人はいる。でも今までこの教頭に逆らってうまく行った試しはない、というのが半ば定説になっている。半ば、と保留したのには少しわけがあって、それは唯一教頭が放送部――僕の所属してる部活だが――を取り潰そうとして失敗した、という話を一部の人間が知っているからだ。当然僕も所属しているからにはその一部の人間なわけで、誰が教頭をやり込めたかまでは知っている。しかしどうやってやり込めたか、という点については頑として教えてくれなかった。騎士道とかなんとかいって誤魔化された記憶がある。
あの人ならなんとかしてくれるかもしれない、そんなことをぼんやり思いながら箒で漫然と床を掃いていると、突然横から話しかけられた。
「ねえ、例の教頭をやっつけた話ってさ、放送部のことだったわよね」
話しかけてきたのは同じクラスの朝倉さんだ。
「放送部でしょ、何か策とかあったりしないの?」
「そ、そんなに期待されても困るよ。それにあれは放送部がどうにかしたっていうのとはちょっと違うし……」
「ふーん。放送部の子ならなんとかしてくれるんじゃないかって思ったけどなあ……」
「ま、まあ、まだ会議だけだし、もしかしたらなんとかなるんじゃないかな」
朝倉さんはジト目でこっちを見る。そんなに見つめないでほしい。
「あなたは何考えてるかわかんないわねえ……」
「よく言われるよ」
「ま、期待してるわ」
「だから期待しても何も出ないよ」
妙な期待をかけられ、鞄と相まって肩が重くなったまま部室へもう一度向かうことにした。
部室に向かうと、案の定部長がふんぞり返っていた。
僕は未だにこの部長の名前を知らない。外国人だとはっきりわかる顔立ちで、人形のような美貌にも関わらず異様な威圧感を放っており、時折時代がかった口調で喋り、どこで仕入れたのかよくわからない知識で頭は溢れかえってるくせに一般常識を知らず、そのくせめちゃくちゃ頭が切れる。それがうちの部長だ。例の教頭を言い負かしたのもこの人で、僕と瀬川はこっそり「ヒルデガルダ女王」と呼んでいる。なんでヒルデガルダかは忘れたが、朝倉さんが貸してくれた歴史本の挿絵が部長そっくりだったからだとかそんな理由だった気がする。
「あー、おはようございます」
「あーとはなんだ、あーとは」
「あっはい」
この時期、部活は特に何かあるというわけでもなくだらだらしゃべって終わりなのがいつもの流れだ。時々部長に付き合わされてあれやこれや余計なことをやらされてひどい目にあったりすることもあるといえばあるのだけど。
だらだらしゃべるとなれば当然色んな話題が出るわけだけど、もちろんその中には文化祭も入ってくるのは自然なことだった。
「ねえ、部長。何とかできないんですかね」
「何とかってなによ」
部長は椅子の背もたれに肘を置きつつ頬杖をついている。
「文化祭、なくなるなんてことはないですよね」
「わかんないわよ。まだ」
「どっちの意味ですかそれ」
「どちらにしても、すぐにわかるでしょう」
「どうして」
「明日会議があるじゃない。あなた放送部なのにそんなこともわからないの」
確かに今日の予定を放送で伝える仕事はある。けれど今日の当番は僕じゃなくて部長なんだから知るはずないじゃないか。けれど口には出さない。更に怒られるに決まってるからだ。部長も返事を期待してるわけではなかったようで、いつの間にかやたらに分厚い本を読んでいる。
結局、その日部長から文化祭についての具体的な話は出てこなかった。ただ、教頭の話をした時にちらっと何かを思い出すような顔をしていたのが妙に頭に残った。以前の放送部廃止の危機のことでも思い出したのだろうか。
翌日の会議は荒れたらしく、どうにも文化祭について話をしづらい雰囲気が学校中から滲み出ていた。
クラスの日直だった僕は重苦しい空気の職員室に恐る恐る入った。先生方は一見皆いつも通りに仕事をしているように見えるが、やはり苛立ちや憔悴に近いものが垣間見える。
担任に日誌を渡すだけなのに気が重い。
「失礼します」
と言って入った瞬間、何人かの先生に鋭く睨まれた。これじゃあまともな会話すら望めるか怪しい。
そそくさと担任に日誌を提出する。しどろもどろになりかかりながらどうにか今日の報告めいた話を二言三言かわす。思ったよりはつつがなく会話は終わり、帰ろうとしたとき、先生はぼそっと漏らした。
「すまんな」
このタイミングで謝るとしたら、何についてかは一つしかないだろう。僕はあっはい、とだけ言って陰鬱と怒りの帳が降りた職員室を出た。
職員室を出てドアを閉めてから前に進もうとすると壁のようなものにぶつかった。横幅が僕の三倍くらいはありそうな巨漢。常に人を値踏みしているような目つき。これがうちの教頭だった。
「ちゃんと前を見て歩け」
教頭は顎をさすりながら、僕が口を開く前に職員室へ入っていった。
鞄を持ってそのまま部室へ行く途中、不穏な話が聞こえてきた。
――校長室に突っ込むっていう噂、本当なの。
校長室に突っ込む、とはどういうことだろうか。状況が状況だけにあんまり関わりたくない話なのは確かだと僕の勘が告げている。
「不穏ねえ」
僕が部室に入るや否や、部長はぼそりとつぶやいた。昨日と変わらず分厚い本を手に取っている。
「不穏って……噂ですか」
「知ってるの。じゃあ話は早いわね」
部長はドサリ、と重そうな本を開いた状態で置いた。
「いや知ってるって言っても突入するとかなんとかって話だけで……」
「一番肝心な部分じゃない。これじゃあうまく行かないでしょうね」
「い、一体何が始まるんですか」
部長は呆れ顔で僕の方を見てきた。
「その話を聞いて何もわからないわけ。ずいぶんと鈍感ねえ」
そんなこと言われてもわからないものはわからないじゃないか。
僕のむっとした顔を見て、部長は本の開いたページを指差した。
「読みなさい」
いきなり本を読めといわれて困惑しつつ部長の横から本をのぞき込む。
「学生運動……?なんですかこれ」
「うちの高校の百年史よ。所詮高校生の学生運動なんてたかが知れてるけど、うちの高校だと校長室に入り込んだ生徒たちで校長を取り囲んで要求を通そうとしたことがあったみたいね。一部の大学でも使われてた手法よ。どこの誰が仕組んだのか知らないけれど、面白いことをしようとするものね」
「あっ……つまりもう一度校長室突入をすることで文化祭開催を要求するってことですね」
「そういうこと」
それでずっと読んでいたのか。ようやく納得した。でも突入ってよっぽどのことでない限りうまくいかないんじゃないんだろうか。人数も必要だし、だいいち要求が通るかどうかも微妙だ。
僕の顔を見て察したのか、部長は百年史の一節を指差した。
「『結局、この要求は通らず、運動は挫折するに至った』。お慰みってとこね」
なぜか妙ににやにやしている部長の内心はやっぱり僕にはさっぱりわからない。
「さて、じゃあ仕事してもらわなきゃね」
翌日、僕は物陰からカメラを構えていた。校長室のすぐそばに掃除用具入れがあり、そこがちょうどよい隠れ場所になっているのだ。隣には部長もいる。瀬川はなんやかんや理由を付けて逃げだしたらしい。面倒臭いことを嫌がるあいつがやりそうなことだけど、結局僕に面倒のお鉢が回ってくるのは困る。困るといいつつ、結局僕は部長の言うとおりにやらされるのであった。
時刻は職員朝礼間近。普通なら朝自習を教室でこなしているはずの時間だ。すでにタオルなどで顔を隠した体格のいい生徒が何人かいる。恐らく野球部やラグビー部の連中だろう。中には角材を持ち込んでいる奴もいる。本当に暴力沙汰でも起こしそうな気配だ。
「まるでごろつきね」
部長が僕の耳元で囁く。距離が近い。息がかかって変な気持になる。
「その、部長、近すぎです」
「仕方ないでしょ、ここで隠れながら撮影するんだから」
「なんでこんなことするんですか」
「これを撮影して次の大会で提出するのよ。上位受賞は堅いわよ」
この人がにやにやしてたのはそういうことか。型破り、いや常識破りの発想に僕はカメラを取り落としそうになる。
校長室の扉が開いた。覆面の生徒たちが一斉に身構える。
だが、出てきたのは校長ばかりではなかった。体育の先生方がぐるりと校長を取り囲んでいる。そして先頭には教頭が巨体を揺らして歩いている。
想定していない事態に生徒たちは動揺して顔を見合わせる。
「一気に分が悪くなったわね」
部長は試合でも見るかのような口ぶりだ。
体育教師たちに立ちはだかる覆面生徒たちは怒号とともに飛び込んだがバラバラでどうにも百年史で読んだ様子とは違う。はっきり言って失敗だ。包囲戦というよりはもはや追撃戦というか残敵掃討といったありさまで、体育教師たち次々に生徒の覆面を引っぺがしてはその辺に転がしている。角材を持っていた生徒も角材を振り上げて振りおろそうとしたところを手首をつかまれて倒されている。
「連れていけ」
教頭の合図で体育教師たちが転がした生徒を引っ立てて連行していく。行先は生徒指導室だろう。
「これじゃあ予定してた絵面にならないわねえ……でもドキュメントとしてはこれくらいで十分かしらね。シナリオ作ってドラマ撮ってるわけじゃないし、これはこれで十分面白いんじゃないかしら」
さて、と部長はつぶやいて僕の肩を叩いた。
「ちょっとカメラ止めてちょうだい」
「え、止めるんですか?」
言われるままにカメラを止める。
カメラのRECの文字が消えたのを確認すると、部長は戦場めがけて飛び出していった。
「待て、侯爵」
部長は尊大に教頭の前に立ちはだかった。
「またお前か!」
教頭が悲鳴に似た声でわめく。
「お前とは何だお前とは。余に向かって随分な物言いではないか、侯爵」
「は、いえ、その、この場においては生徒と教師の間柄です故……」
「教師であろうと臣下であろうと相手に無礼を働くのが卿の筋の通し方か」
「いえ、滅相もございませぬ」
「陛下、これにはきちんとした理由がございまして」
教頭は跪きながら脂汗を垂らしている。その隣で校長はまごまごしながら部長にとりなしている。
「話がある」
彼女は教頭と校長を従え校長室へと入っていった。
校長室での話が聞きたくて、僕はドアに近づいて耳を押し当てた。
「卿のやり方では民はついて来ぬ。ヴァンゼルトの奴でももう少しまっとうな策を思いつくわ」
「いえしかし、こちらの慣わしでは」
「こちらの慣わしだろうと余や卿のいた世界であろうと民の求めるものは変わらぬ。むしろそれが真理であることを貴殿はこちらの世界で学ばなかったのか。我々より数百年先の異国の地であってもすべきことは上の者の為すべきことは変わらぬと、書にも歴史にも書いてあるであろう」
「……」
「大体、公爵、卿がいながらこの有様か」
「言葉もございませぬ」
まるで本当に女王と家臣の会話のようだ。本当に部長は女王なのだろうか。
「陛下と臣等めがこちらの世界にきてより随分経つというのに、陛下はお変わりありませんなあ」
「卿等が染まりすぎたのであろうよ。では」
「は……仰せの通りにいたします」
足音が聞こえてきたので大急ぎで元の場所に戻って隠れる。
部長は僕の隠れている方を向いて手招きをした。
「終わったわよ」
昼休み、部長が屋上へ向かうのを見かけた僕はそのまま後ろについていった。誰もいないところで聞いた話についてしゃべりたかったからだ。
「あら、ついてきたの」
部長は素知らぬ顔で話しかけてきた。
屋上は少し風が強く、部長の長い髪が揺れている。
「部長、部長は一体誰なんですか。何者なんですか」
僕は叫んだ。
「私は私よ。ただの放送部の部長、あなたの先輩」
「陛下だとか臣下だとか話してたじゃないですか」
「聞き間違いじゃないの。そんなことより」
はぐらかしながら部長は僕に近づいてきた。
「編集、よろしくね」
聞き間違い、というワードを唱えられた瞬間、僕は自信を無くした。僕がそうあって欲しいと願っただけであって、本当は全く別のことを話していたのではないかという思いにとらわれたのだ。すべては僕の妄想だったのだろうか。今となってはどうなのか確かめるすべもない。部長にはぐらかされ続けてきたもやもやとあいまってどうしようもない思いを抱えながら帰りのバスに乗ると、隣に朝倉さんがいた。
「文化祭、短縮されるけど開催だって」
「うん、知ってる」
女王が臣下に命じたところを聞いたからとは流石に言えなかった。言ったところで信じてはもらえないだろう。
「ねえ、ヒルデガルダの本、前に貸してくれたよね」
「え、うん、そうね。ああいう本が好きなの」
「いや、好きだけど、聞きたいのはそうじゃなくて」
言葉を選びながら、慎重に話し出した。
「ヒルデガルダの話の中に勉強だとか学校だとかそんな話、ないかな」
「うーん……勉強とか学校みたいな話はないわねえ」
でも、と朝倉さんは続けた。
「ヒルデガルダ女王伝説の中に、一瞬にして別世界で三年分の修業を積んできたという話があるわ。それのことかしら」
「うん、そうかもしれない」
「異世界の修業って、どんなのかしらね。何の修行とも書かれてないけれど……魔法や錬金術の類かしら」
「……案外、そういうのって思ってるより近いところかもよ」
朝倉さんの言葉を聞いて、僕は確信した。
部長がどれだけはぐらかそうと、僕にとっては間違いなく伝説の女王なのだ。
(了)