ヒルデガルダの恋             木村縦雄




 それは色褪せることのない、大切な思い出。

 彼女がまだ、少女であった時のこと。王位に即位してからというもの、政治的課題が彼女の親友であった。外交・食料・国内の経済格差をはじめ、多くの親友に囲まれていた。

 彼女は屈することはなかった。持ち前の行動力で、ゆっくりではあったが、一歩一歩、前進している。少なくともそう思っていた。

 また、彼女は先を見据える力に秀でていた。それは見ている世界が、凡夫とは違うということであり、彼女の行動が周囲を悩ませる一因でもあった。もちろん、そんなことは、重々承知していた、つもりだった。

 抵抗勢力はいつの時代も存在し、それは当然、彼女の親友の一人でもあった。何かを企てているという情報が寄せられた。首謀者の目星は付いていたのだが、一方で確証もなかった。

 彼らの動きを掴もうとしていた時のこと。それは非常に大胆で、極めて有効な策であった。彼女の事を理解しているからこその案だった。

 広場の中央で、男は高らかに宣言する。さあ、おいで、と。

 安っぽいが最大限の招待を受け、彼女は民衆の前に姿を見せた。そして、勇敢な一人の男が身を挺したのを皮切りだった。群衆は意志を持った洪水となり、周囲を飲み込んだ。

 後の歴史は、彼女の功績として、その出来事を称えている。

 しかし……そのとき、彼女は魅了されていた。濁流のようになだれ込む群衆に。心が高鳴っていた。自身のために立ちあがった我が国民に。彼女は確信していた。彼らと共にする未来に。

 今になって考えると、それは、世に言う恋というものだったのだと思う。

 彼女は心を奪われてしまったのだ。

 陛下、お時間でございます。

 側近の声に、彼女は僅かに頷いた。そして、ゆっくりと、一歩一歩階段を上った。上った先のバルコニーからは、溢れんばかりの群衆が、彼女を今か今かと待ち焦がれていた。

 彼女は対面を果たすと、静かに口を開いた。

 そして、地鳴りのような歓声が湧きあがった。王位継承から半世紀を祝う式典が始まりを告げた。

                                                             (了)

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